終章 私は、電波空間にも公園が必要だと思う

ここまで長い論考を読んでくださった読者に、最後に一つだけ伝えたいことがある。

私は、この論考を書きながら、何度も自分自身に問いかけた。

アマチュア無線とは、何のために存在するのだろうか。

この問いに、唯一の正解はない。

人によって答えは違うだろう。

ある人は防災と言う。

ある人は教育と言う。

ある人は国際交流と言う。

ある人は電子工学への入口だと言う。

そのどれも間違いではない。

しかし私は、それらよりも前にあるものを忘れたくない。

それは、

自由である。


文化は役に立つから生まれるのではない

私は、この論考の中で何度も

教育、

STEM、

若者育成、

社会貢献、

という言葉を書いてきた。

それらはどれも重要である。

しかし私は、一つだけ順番が違うと思っている。

文化は、

役に立つから生まれるのではない。

人が夢中になる。

面白いと思う。

誰にも頼まれていないのに続ける。

失敗してもまた挑戦する。

その積み重ねが文化になる。

そして文化が成熟したあとで、

教育にも役立ち、

産業にも役立ち、

社会にも貢献する。

私は、その順番を逆にしてはならないと思う。


公園という思想

私は、公園が好きである。

公園には目的がない。

もちろん、

健康のために歩く人もいる。

子どもを遊ばせる人もいる。

読書をする人もいる。

昼寝をする人もいる。

しかし、

公園はそのどれか一つの目的のために存在しているわけではない。

自由だから公園なのである。

だから文化が育つ。

だから遊びが生まれる。

だから創造性が生まれる。

私は、アマチュアバンドも同じだと思っている。


私が恐れていること

私は、

教育を恐れているのではない。

ARDCを恐れているのでもない。

STEM教育を恐れているわけでもない。

私が恐れているのは、

「役に立つ」という言葉が、文化の存在理由になってしまうことである。

もし趣味が、

教育のために存在する。

産業のために存在する。

国家のために存在する。

そのように説明されるようになれば、

もっと効率のよい手段が現れたとき、

その趣味は存在理由を失ってしまう。

私は、その未来を望まない。


44Netが教えてくれたこと

この論考は44Netから始まった。

44Netでは、

アマチュア無線のために存在していた資源が、

社会の変化によって、

より広い通信技術基盤を支える資源へと役割を変えた。

私は、この歴史を否定しているのではない。

しかし、その出来事は私に一つの問いを投げかけた。

公共空間は、いつ、どのように役割を書き換えられるのだろうか。

私は、その問いを読者と共有したかったのである。


私たちは何を残したいのか

百年後、

アマチュア無線がどのような姿になっているかは分からない。

AIが運用を支えるかもしれない。

量子通信が普及しているかもしれない。

電波の利用方法も変わるだろう。

制度も変わる。

技術も変わる。

組織も変わる。

しかし、

一つだけ変えてはならないものがある。

それは、

人が、自分自身の目的で遊べる自由である。


電波空間にも公園が必要である

私は、

アマチュア無線が教育に役立つことを否定しない。

社会に貢献することも素晴らしいと思う。

若者育成も必要である。

しかし、それらはすべて、

自由な文化の上に咲く花である。

根が失われれば、

花もやがて枯れる。

だから私は、

アマチュア無線を

教育のためだけにも、

産業のためだけにも、

国家のためだけにもしたくない。

それは、

市民が自由に遊び、

試し、

失敗し、

夢中になり、

文化を育てることのできる場所であってほしい。

私は、そのような空間を、

民主社会は持ち続けるべきだと思う。

そして、その一つがアマチュアバンドである。


私は、この論考を、一つの結論で終えたい。

私は、電波空間にも公園が必要だと思う。

2026年 夏


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