─ 私が「やわらかな国家総動員」という仮説を持つ理由
ここまで私は、
44Net、
ARDC、
助成金、
ARRL、
IARU、
YOTA、
JOTA-JOTI、
ボーイスカウト、
STEM教育、
そして世界的な技術競争を見てきた。
それぞれは独立した出来事に見える。
それぞれには、それぞれの目的がある。
しかし、それらを一枚の地図に重ねると、一つの構造が浮かび上がってくるように私には見える。
ここから先は、その構造についての私自身の仮説である。
私が見た一枚の地図
世界各国は、AI、半導体、通信、量子技術などを国家戦略として位置付けている。
そのためにSTEM教育が推進される。
STEM教育を支えるために、大学、企業、財団、地域団体が協力する。
ARDCもまた、その一角として教育、研究、若者育成、オープンソース、アマチュア無線を支援している。
IARUでは若者育成が重要なテーマとなり、
ARRLでは教育が重要な柱となり、
各国ではYOTAやJOTA-JOTIが広がっていく。
日本でも、
JARL、
JARD、
ボーイスカウト、
アイコム、
教育機関などが、それぞれの立場で活動している。
ここで重要なのは、
それぞれが、それぞれの理由で動いているはずなのに。
しかし、その結果として、
社会全体は同じ方向へ進んでいるように見える。
同じ方向に誘導する力の働きをみる。
私が「やわらかな国家総動員」と呼ぶもの
私は、この構造を説明する言葉として、
「やわらかな国家総動員」
という表現を使っている。
もちろん、これは歴史上の国家総動員法を意味するものではない。
私は比喩として使っている。
そこには命令はない。
徴兵もない。
強制もない。
あるのは、
助成金。
教育。
国際交流。
共同研究。
表彰。
社会貢献。
そして「未来のため」という共通の理念である。
人々は命令されて動くのではなく、
自ら納得して、
未来のために同じ方向へ歩いていく。
私は、このような現代社会の特徴を表現するために、
「やわらかな国家総動員」
という言葉を用いている。
公共空間は何のために存在するのか
ここで私は、もう一つの問いを提示したい。
アマチュアバンドは、
何のために存在しているのだろうか。
教育のためだろうか。
技術者育成のためだろうか。
防災のためだろうか。
もちろん、それらの役割を果たすことはある。
しかし、それらはアマチュア無線の結果ではないのだろうか。
私は、
アマチュア無線が百年近く続いてきた理由は、
もっと別のところにあると思う。
公園という比喩
私は以前から、
アマチュアバンドを「公園」にたとえてきた。
公園は、
子どもを教育するためだけに存在するのではない。
防災訓練のためだけでもない。
健康づくりのためだけでもない。
もちろん、そのような目的にも利用される。
しかし、公園が公園である理由は、
誰もが自由に過ごせる場所だからである。
走ってもいい。
本を読んでもいい。
ぼんやりしていてもいい。
虫を探してもいい。
誰も成果を求めない。
誰も評価しない。
その自由があるから、
人は自分で目的を見つけることができる。
私は、アマチュアバンドも同じだったと思う。
44Netとアマチュアバンド
44Netでは、
「アマチュア無線のための資源」が、
「社会全体の通信技術を支える資源」
として再定義された。
これは歴史的事実である。
そこで私は、一つの問いを持つ。
もし将来、
アマチュアバンドも、
「趣味文化のための公共空間」
ではなく、
「技術者育成のための教育資源」
として位置付けられるようになったら、
その時、
私たちは何を失うのだろうか。
私は、この問いこそが本稿の中心だと思っている。
私が守りたいもの
私は、
教育にも反対しない。
若者育成にも反対しない。
STEM教育も重要だと思う。
ARDCの助成によって実現した価値ある活動も数多くある。
しかし、それらとは別に、
どうしても守りたいものがある。
それは、
「役に立つから存在する」のではなく、「自由だから存在できる」という公共空間である。
私は、その空間があったからこそ、
アマチュア無線という文化は百年近く続いてきたのだと思う。
終章へ
この論考で私は、
教育を否定したかったのではない。
私が問いたかったのは、ただ一つである。
公共空間は、誰のために存在するのか。
その問いに対する、私自身の答えを最後の章で述べたい。
