「ただほど高いものはない」

JARL会長、役員は無給なのに出張費用、会食費用、労い費用などは自腹でと言う意見を聞いたけど

結局のところそう言う意見は会長、役員、他人のタダ働きに対する。「タダノリ」なのじゃないだろうか?

そう言う人に限って私はJARL活動に協力したからと言って何かを求めたことはないという。

要するに「ボランティア」だと言いたいのだ。

自分が、ボランティアをしてるからって他人のタダ働きをボランティアにしていいわけではない。

自分がボランティアだからからと言って、「対価ゼロ」と言う点では同じJARLの会長、役員、委員が対価を求めていけないとか、対価を受け取ってはいけないとか言う権利はない。

タダ働きはボランティアではない。

「対価ゼロ」と言う点では同じだがタダ働きはボランティアではない。価値のあるものに対価が支払われていないと言うだけのことである。

無給で活動経費が必要なJARL会長、役員、委員にボランティア精神を要求しているという滑稽さ

高尾前会長を攻撃する中に、タダ働きであると言う現実と、ボランティア精神でやらねばならないがごっちゃ混ぜになっている人がいる。無給を受け入れたからと言って、JARL活動の「必要経費」についても自腹で支払うべきと言う極論の存在が、問題をわかりにくくしている。

JARLはJARL会員が会長、役員、委員のタダ働きにただ乗りすることでは成り立たない。

会員目線からはJARLの各委員会、理事会、行事の実行委員会が機能するには何の苦労もないように見える。

しかし一般の会社と違いJARLは社長、管理職、平社員という給与による結びつきの組織ではない。

命令実行という縦の指揮系統があるとしても一般の会社とは違うものだ。

あくまでも個々人の同じアマチュア無線という共通の趣味に基づく「友愛親睦」によって成り立つ組織だ、ボランティア組織とも違う。

JARLの会長の必要経費には二種類ある、純粋に出張する費用などの交通費、人と会うための宣伝交通費と「組織をまとめるための費用」委員、役員との労いと意見交流を兼ねたささやかな宴。

正常化プロジェクトは後者ばかりでなく、前者も論難を加えた。

仕事をするには何をするにもお金がかかるのに。高尾前会長への非難はボランティア活動だから一才自腹にしろから、支出目的は明瞭なのにあえて「使途不明」と決めつけるものまで。

果たして正常化執行部は高尾前執行部と比べて割安なのか?

正常化執行部のウリは「組織をまとめるのに必要な飲食費」は必要ないので「お安くできます」という点ではなかったろうか?

果たして正常化執行部はJARL会員に取ってお安かったのか?仕事はできてるの?

はっきり言って仕事はできない。

紙カードの遅延も紙カード発行の抑制と遅延の肯定、

会員減少も各会員の声かけ

JARLの赤字は(会員の)固定資産の流動化で取り崩して使ってしまう

現執行部は無給の委員役員のタダ働きにタダノリする(無給の委員役員の唯一見返りたるささやかな宴を否定)ことを肯定する会員によって支持されているから。

しかしその無給の委員、役員の労いを否定するタダノリは結局高くつくのではないだろうか?

タダ働きに報いることがなければ良い仕事もできない

結局、熱意とか動機とかは会社なら給料で、高尾前会長的労いの宴で、自らの「仕事」として強く刷り込まれる、

結果的に「仕事」として自覚された労役としょせん奉仕としてしか自覚されない労役では、

熱意、動機共に異なってくる。結果専門的な技能としての習熟度も異なってくる。

現執行部とハムフェア、カード問題、その他細部、を見るにつけ、

現執行部の「会員はタダ働きすべき」よりJARL委員役員は労いの宴によって

「仕事の義務の自覚と専門性」を持った方が「安くつく」のではないでしょうか?

現執行部の課題と言われている問題は、もし高尾前会長が続いていたならもう解決に向かっていることばかりだからです。

正常化プロジェクト組織論はボランティア「労働には対価をさもなくば労いを」

ちっとばかりボランティアを自分がしているからって、役員委員にタダ働きを押し付けて、自分はフリーライド。仕事という義務感も責任感もない。

役員委員は弁当ひとつでない。労いの居酒屋もない。

こんなJARLは「持続可能性」がありません。

正常化執行部は高いものにつくでしょう。先は

もう見えちゃってますけどね。

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