QSLビューロインフラとしてのJARL

すでに贅沢品であるJARL会員であるということ。存在意義を自ら掘り崩し続けることで、待ちうける未来。

紙カードが存在していられるのはJARL会費によってビューローというインフラの存在で手間とコストのしきいが下げられているから。

JARLQSLビューローはアマチュア無線局にとってのインフラの一つである。

だから月に1~5枚前後の推定70バーセントを占める層でもJARLに入会している。

ビューローがなければ今のような紙カード文化は成立しない。

ある意味JARLは会員の紙カード発送のインフラのようなものだ、キオスクや駅ビル各種サービスも提供しているのと同じことだ。

紙カード文化を否定してしまえば、JARLの存在意義も失われてしまう。

紙カード自体が無線文化を作りだしている欲望の支えの一つでもある。

月に100枚も300枚も出すような局がいる事がアマチュア無線活性化に寄与していることを忘れてはならない。

欲望の支えにはモノも必要。

それを受け取る局が月に一、二枚しか紙カードを発行しないとしても。全体数としての紙カードの流通量は変わらない。

紙カードを月平均50枚以上も出す人など10%程度だからと言ってその人たちに負担を強いるのは結果紙カード文化を否定することアマチュア無線の活気を削ぐことにしかならない。

QSLビューローは鉄道や郵便制度と同じ側面を持っている。

そんなビューローインフラとしてのJARLを辞めるかどうするかの判断でありそうに思えるものを思いつくままに上げてみる。

1)自分でもできる手間を7200円も払って人にやってもらうサービスが贅沢だという経済的理由。面倒な紙カードもやめてしまおう。

2)紙カードをビューローで交換する人がある一定以下になったとき。

(自分なら交信の1/2になったら考え直すかもしれない。電話で例えるならいざ連絡をしようとした時、二分の一しか加入していない電話ネットワークに入り続ける意味は。)

3)贅沢の一つとしてJARL会員であるということとビューローというサービスを使いたい人。

(JARLに入り続けるかどうかは経済的余裕で決まるだろう。)

4)紙カードをたくさん出す局ならば加入し続けるしかない。

5)代わりのインフラサービスがビューローで紙カード交換割合を大幅に超えた時。

JARLという一般社団法人は現在多くの人が実感している通り、カードをほとんど発行していなくても手間を省きたい人にとっての「贅沢」なQSLビューローという紙カード文化を支えるインフラなのである。

一般の会員にとって紙カード文化を捨ててしまうならばほぼ必要のないインフラなのだ。

Lotw,QRZ.COM,eQSL,日本ではクラウド上のWeb LogのHAMLAB

など代替になるサービスはいくらでもある。

JARLが急拵えのWebLogで囲い込もうとしてもすでに時を逸している。

会員増強活動をしないので、毎年 3,000人ずつ会員は減少している。

このままでゆくと会員60,000人すでに会員でない人が10,000人いたとするとJARLという紙カードビューローインフラで「贅沢な紙カード交換」を楽しんでいた人たちが6年ほどでJARLに入っていても思うようにカードが交換できないことに気づき始めるでしょう。

それ以前に高齢化し「年金暮らし」のアマチュア局にとって「贅沢な紙カード交換」のためにJARLに加入することに見切りをつける人も多いことでしよう。

すでにJARLは「必需品」ではなく「贅沢品」になりつつあるのではないか。

かくいう私にとってもQRZ.comとLotwは必需品ですがJARL加入は「贅沢品」のような気がしています。

一定の組織率を下回れば一気に会員はいなくなるでしょう。

JARL財政破綻の前に組織が崩壊する方が先かもしれません。

JARLというQSLビューローインフラは単なる一般社団法人である。

法律家の常務理事が一般社団法人だから法律上、構成員は「お客」ではないなんていう紋切り型を繰り返しているから

ちっとも問題が見えていない。希望がない。

「選挙権のある会員にはより負担を求める」みたいな戯論をしたりしている。

会員の求めていること、会員の声を理解しようとしていない。

このままではJARLは山内弁護士と取り巻きの理事とその仲間の社員だけが残り、会員は皆いなくなるのではないのだろうか?

一般社団法人のJARLという空箱だけ残ってしまうのではないか。

アマチュア無線インフラにサービスを求めてはおかしいのか? 

アマチュア無線を知ったかぶりしている、弁護士でしかない人物にJARLの未来「会員サービス」など期待してはいけないのかもしれない。

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