高尾前会長の割り勘代の二重取り問題について精密に考えた

「割り勘問題の精密分析。」

高尾会長は、日時の違う、4回の「打合せ」を行なった

その費用は割り勘で支払うことになって、支払われた。

高尾会長は、JARLに支払い請求をする前までに

4回のそれぞれの費用を割り勘で払った事実を忘れた。

事務局請求でない費用、割り勘費用を事務局に請求した。

忘れたのは「事務局請求でない費用」を忘れたのである。

ここで高尾氏の脳内では「事務局請求でない費用」という忘却の穴ができ

忘却の穴は「「請求すべき金額」として埋められたのである(内容が自動的に変換された)

なぜかといえば、会合費用は「広報活動費」として支払われなければ高尾氏の自腹になるからだ。

高尾氏からみれば「請求すべき金額」として記憶されたということ。

高尾氏は事務局に記憶にある「請求すべき金額」を請求し。

後日、その金額は支払われた。

高尾氏から見れば「請求すべき金額」を自腹で払わなくて済んだ。ということ

「割り勘を」忘れていないものから見れば「事務局請求でない費用」が

高尾氏に支払われたように見えるので。「間違った収入」になると指摘する、

そこで高尾氏が思い出せば「請求すべき金額」は高尾氏の脳内で「間違った収入」

に変換されまさしく「返却」されて終わる。

一旦でも高尾氏が「事務局請求でない費用」を受け取ったことを非難すべきだろうか?

逆に「請求すべき金額」自体を忘却してしまっても、その穴は「請求すべきでない金額」

が埋めるわけではなく。ただ高尾氏の自腹となりJARLの「支払わなかった金額」として残るだけだから。

請求者が忘れるという行為自体は損害にも利益にもなりうる状態である。

そもそも「二重取り」したっていう言葉に自体に悪いイメージがある。

紛らわしいので以降「二重取り」とは「悪意ある二重取り」を指す。

なぜ「二重取り」という言葉が使われてしまったのだろう。

誰が言ったのだろう。

「忘れた」で「二重取り」をすることは不可能なのである。

忘れた主体にとっては「請求すべき金額」が支払われただけのことだから。

「二重取り」をする人は当然割り勘をしたことを覚えているはずだから。

「忘れたことを装って」というのなら「割り勘にした」ことを決して認めるはずはない。

森田氏側の意見だが(最終版)によると2020年9月に森田氏が高尾氏に「間違った収入」になると指摘したのようだ

(最終版)によれば「高尾氏は事実関係をあっさりと認め

(要するに思い出したか思い出せないかはともかく)

(信頼する森田氏のいうことだから割り勘はあったのだろうと)

(事務局から受け取ってしまっている「請求すべき金額」は「事務局請求でない費用」だったらしいということを)

森田氏のいう通りなら、少なくとも高尾氏の「二重取り」の意図はなかったことになる。

すでに支払われた「請求すべき金額」が「事務局請求でない費用」だったということが高尾氏に知らされただけ。

森田氏に謝罪に会いにきた高尾氏が帰り際、一万円森田氏に渡したので「口止め料ではないかと感じ返した」

一万円ばかりで口止め料というのには被害妄想逞しい

「口止め料」と思うような悪意ある予断が

「二重取り」という結論へと導いた。

以上のように高尾元会長の「割り勘費用忘れ」は全く無害で無罪だ。

(高尾)「森田氏から話を聞くも(中略)な人の間違いか身に覚えがなく理解ができず」

このように高尾氏自身は「割り勘分」を結局思い出せずに、記憶のないところに

山内氏らの「二重取り」という悪意のある言葉をを背負わされて

高尾氏は罪なくして悪意だけで断罪された。

タイトルとURLをコピーしました